過去も今も未来も…

守備範囲が浅く狭い、語彙力のない長文を書くただのファン。

この世の中、Sexyが足りないよ

2022/8/14

この世の中、Sexyが足りないよ。

 

1.1 オタク休養の決心

実は、私は、今日のザ・アリーナの横浜アリーナ公演を最後に、Sexy Zoneの応援活動を辞めようと決めていました。「辞める」とまでは決心できなかったので、正確には「応援活動を休む」ですが。昨日は、そんな文章まで書き殴り、丁寧に推敲していました。

 

でも、今日の公演を観て、「ファンを辞めることを辞めよう」と思いました。

 


Sexy Zoneのことは、11年間、ずっと大好きでした。いまでも好きです。それでも応援活動を辞めようとした理由が2つあります。

 


1つ目は、自分の環境の変化による余裕のなさから。2つ目は、「義務的な応援」をしている気がしたからです。

 

 

1.2. 私のSexy歴史

 

私は、2011年、5人のSexy Zoneを好きになりました。彼らの数多くの変化を見てきて、感じたことがあります。それは、Sexy Zoneとは、「5人」で完成しているグループだということです。

1人でも欠けると、私が本当に愛している姿では無くなるように感じました。

 


Ladyダイヤモンド」期から、じわじわと感じた違和感は、「Sexy Summerに雪に降る」でSexy Boyzという形になり、ついに3人体制での活動が発表されました。高校生だった私は、とにかく、Sexy Zoneの変化についていけませんでした。私がSexy Zoneを好きだと話すと、周りから、「なんで今は2人がいないの?」と聞かれ、「分からないよ」と答えるしかありませんでした。5人の様子は気になるけれども、しっかりとした応援はできませんでした。

「カラフルEyes」で5人に戻ってからは、楽しく応援ができました。それが楽しめなくなったのは、2018年の松島聡くんの活動休止のときです。再び気持ちが戻ったのも、2020年の活動再開の時期でした。このときまで、私は、「自分が松島聡くんを応援しているから、松島聡くんのいないSexy Zoneを全力で応援することが難しいのだろう」と思っていました。

 


この思い込みが間違いだと気がついたのは、マリウスが活動休止をしてからです。聡くんが戻ってくれた有り難さと喜びを感じつつも、なんだか違うなと感じていました。そこで、ようやく「5人が良いんだ」と気がついたのです。

 


4人や3人だと、パフォーマンスに不安を感じるとか、そういったことではありません。むしろ、Sexy Zoneは常に、そのときやるべきことに真摯に向き合い、どのような試練も乗り越えてきています。

それでも、5人のバランスがあまりにも良すぎてしまうので、勝手に心のなかで比較してしまっていたのです。

 

1.3.私の生活の変化

私個人の生活も大きく変わりました。大学卒業後、仕事をすぐに辞め、うつ病になりました。他にも、さまざまな病気と戦っています。いまでも、治ってはいません。私は、この病気と一緒に生きていくのだと思っています。仕事や病気のことで悩むなか、いまの私に必要なものと不必要なものをしっかりと分別しようと考えました。

そこで、Sexy Zoneを思い出ました。本当に楽しく応援できているのか。楽しくないのに、「応援しなければならない」と思い込んで11年続けていたのではないか。自分が楽しいことだけ、必要なことだけをやるようにして、自分中心に向き合っていかなければ、私の道は拓けないのではないか。

 


このように、私の人生と今までのSexy歴史を思い返して、私がいま、セクラバを名乗るのはおこがましいと思い、休むことを決意していました。

 


私自身、誰かの報告に対して、「降りるなら、勝手に何も言わずに降りろよ……」「応援するもしないも勝手だろ」なんて思っていた時期もありました。 いざ、自分がその立場になったとき、誰かに伝えたくなってしまいました。あまりにSexy Zoneが大事だったのと、11年間のセクラバ生活で出会った皆さんに、挨拶もなく去ることが寂しかったからです。

 


2.当日(2022年8月14日)

「今日で最後にしよう」と決めて、1人で訪れた横浜アリーナ。いままで、何人もの仲間と一緒にSexy Zoneの現場に行きました。ファンを卒業した人や、疎遠になってしまった人、皆のことを思い出しました。「こういうときに限って、良い席になってしまうんだよな。」「これで辞められなかったらどうしよう」「そのときは、そのときだ」なんて、笑いながら。

 


公演後、出した結論は、「私はSexyと共に生きていこう」でした。私が見てきた11年間、無駄だったなんて思ったことは一度もありませんでした。彼らに裏切られたなんて思ったこともありませんでした。好きだったからこそ、たくさん不満があったときもありました。


公演中、なにも考えずにいられました。単純に、とても楽しかったのです。これがエンターテインメントだ、音楽だと感じました。Sexy Zoneの魅力は、音楽を大切にしていることと、彼らの真摯さにあります。彼らが頑張ってくれるから、音楽を大切にしてくれるから、感動するパフォーマンスになるのです。「これが国民的になるのだろう」「最高のエンターテイナーになるのだろう」と思った、私の目に狂いはなかったと確信しました。

 


このタイミングでのドーム公演発表。久々に、嬉し涙を流しました。いままで、Sexy Zoneもセクラバも、悔しい思いをしてきました。でも、「これは試練だ」と、応援し続けてきた人もいたでしょう。

 


動員数だけでいえば、もっと早くにドーム公演は叶ったかもしれません。しかし、Sexy Zoneはドーム公演が決定するタイミングすらも、完璧です。もとから完璧だった5人、Sexy Zone。やっと、揃った…。確信できました。

 


いま、この世の中、そして私に足りないのはSexy Zoneだ。Sexy Zoneと共に生きられるこのSexy時代に、セクシーサンキュー。

 

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V6の自担が結婚しました(3/16)

2016年1月頃から応援してきた森田剛くんが今日(3月16日)、自身の結婚を公式発表した。
私はV6の20周年(2015年)もまともに祝えなかったほどの新規ファンでSexy Zoneとも掛け持っているが、いちファンとして今回の発表になにも思わないはずがない。
書いているうちに自分のなかの結論を出せるのか定かでなくとも、記憶力の良くない私が忘れないうちに、16日の出来事や私の想いを書き連ねようと思う。


私はその日の朝から、三宅担の友人とカラオケのデュアルモニタールームで、「V6 LIVE TOUR 2017 The ONES」鑑賞会を開いていた。
これはもともと、「森田剛のお誕生日会をやろう!(本人不在)」という提案から始まり、2月20日の彼の誕生日が過ぎ、ライブDVD/Blu-ray発売の3月14日も過ぎたタイミングでようやく実現した。私は今日のこの日を楽しみにしていたわけである。
16日に観ることになったのは偶然二人の都合が良かったからで、このことを予知していたのではないが、今は「運命?」と思ってしまうほど。まあ、3月16日の意味は二人の誕生日の間(2/20と4/6)で真ん中の日だったわけだが。


正直に言ってしまうと、私は最近V6に対する熱が冷めかけていた。
2017年12月24日、岡田准一くんが紅い封筒をファンへ送った日。私は、

  1. よりによってクリスマスイブに報告はないだろう、自分達のことを考えすぎていないか。
  2. これでは結婚を祝福しようという気持ちが薄まってしまう。
  3. 剛くんよりも年下の、V6の最年少が結婚か…。

と、さまざまな想いを複雑に絡ませて、素直に祝うことなどできなかった。しかし、私も岡田くんの幸せを願う他ないので、「おめでとうという気持ち」をなんとか想うことができたはず。

そこから年が明け暫くして、週刊誌に載った剛くんと宮沢りえさんに大きなショックを受けた。今までのどのスキャンダルもなんとか耐えられていたにも関わらず、その日は抜け殻のようになってしまったほど。
私は載った写真にだけでなく、ほかのファンや一般人の意見が溢れるTwitterを覗いたことでのショックもあり。誰にも代えられない、大好きな剛くんが好き勝手言われているという状況。私自身が責められているのではない。私が見なければよい話なのは百も承知。それでも、大変傷付けられた。

その2つ(岡田くんの結婚と剛くんの週刊誌)があってからはV6の曲を積極的に聴くことも以前より減った。剛くんの出演ドラマや主演舞台のDVDも買ったまま見る時間をとれず、それが2ヶ月以上続いた。
ここまでV6に触れない日々がファンになってからはなかったため、もしかしたら私はV6のファンとはいえない日が来るのではないかと、さみしさを通り越して恐れに近いものを感じた。

そのような心境でライブ鑑賞会を行うなんて、と不思議に思われる方もいるとは思うが、もしも鑑賞会をしなければ、私はこのDVDを自宅で再生しなかったかもしれない。

当日、Blu-rayでコンサート本編、シンクロするまでリハに戻れま6、、、散々楽しんだ。

動く6人を久方ぶりに見ると、歌もダンスもMCも何もかもが最高だった。やはり剛くんのことが好きなんだ…という気持ちを再確認できた。
「剛くんのすべてがかわいい」「こういう風にメンバーのことを、人のことをよく見ているのが素敵」「ダンスアホかってくらいかっこいい」…たくさんの『好き』がつまった時間を友達と過ごして、「家に帰ったらカミセンMCも見て、全国MC集も見て…」と別れ際に予定を立てまくっていた。


ところが、友達と別れてからの電車内でメッセージが届いた。
「いま、愛なんだのツイッターを見るでない」と。その友達から。
私は何を思ったか、「今のタイミングで送ってくるのは、V6がロケで私たちのいた場所の近くにでも来たのかな?」と軽く捉えて、「見るな」と言われると余計に見たくなってしまうではないかと返信すると、
「絶対ダメ!公式の発表待って!」
えっ公式?V6……の……解散とか?!えっ絶対ヤダ!!!!………あ。Twitterのトレンド、宮沢りえって………。


私は、せっかくの友達の忠告も聞かずに、間違えた予想と自己判断でツイッターを開いた。「見るな」と言われたタイミングで「宮沢りえ」がトレンド入りするなんて、アレしかない。

家の最寄り駅に着くと、やけに自分が軽いことに気づく。傘を出かけた先のトイレに置き忘れた。電車内で顔に出ないように必死で我慢していたのが、ため息とともに漏れた気がした。
傘を取りに戻ることもせず、家にいつの間にか着いており、白い封筒がポストに届いていた。よく帰れたと思う。3月16日16:00。

絶対に"こんなもの"、あけられるはずがない。傘どうしよう。泣きたい。でも不思議なことに顔に伝うものは何も無かった。

いつか来るであろうと思っていても自担が結婚する日は案外すぐだったなと。
交際していたことはもちろん知っていて、もっと言えばふたりが共演した舞台『ビニールの城』も立ち見券で観に行っていた。
公の場に二人が並んで立つことはもうないだろうが、公演のパンフレットや当時のビニールの城関連が掲載された雑誌を開けば、いつでも二人は載っている。二人が出逢った証が刻まれている舞台、私が一度しか会えなかった朝顔とモモ(役名)。読んでいるうちに複雑な気持ちになった。

私は、とにかく病みツイートをした。












散々呟いたあと、「このようなときこそ、数か月更新をサボっているブログを書くべきだ」と突然思い当たり、今に至る。
ブログを書くのに、V6のFC会員に届く本人からの通知を読まないなんて、(自称)ブロガー失格だ。またもおかしく激しい思い込みのおかげで私は白い封筒を開いた。
長野博岡田准一に続いて、私が会員になってから家に通知がくるのは3度目。しかし、このようなものって内面が出るなあと思った。


デザインも文面も何もかも、彼はやはり私が好きになった森田剛だった。それが余計に私を苦しませたが、見たことへの後悔はなかった。むしろ、見て良かった。

ツイッターのタイムラインは傷付く意見が多かった。反応の模範解答などないが、間違いは存在すると思う。言い方次第で、ものの印象は良くも悪くもなる。ネットに溢れるまとめやモーメントも、肯定的意見か否定的意見か、何を多く取り上げるかで閲覧者のものごとへの考えを左右させるだろう。


このようなことを考えているうちに、ご飯をあまり食べられなくなり、バイトの2連勤を終えた頃にはフラフラしていた。バイト先の人に「何か落ち込むことありますか?」と聞かれ、散々恥ずかしがって焦らした挙句、「好きな芸能人が結婚したんです…。」と、それが森田剛だとカミングアウトしたときは「あー!宮沢りえでしょ」と、芸能人に疎い人でも知っていた。バイト先で販売しているスポーツ新聞に載っていたからだったが。

バイト先の人だけでなく、友人にも心配をかけた。ショックを理由にご飯を食べられなくなったことが今までに無かったため、自分もどうしたらいいのかわからず、電話をかけてくれた友人につい不安を漏らしてしまった。それを友人は「絶対食べられるようになるよ!」と暗示のように言ってくれて、やけに心にすっと入り込んできて「たべる」ことに対する自信が湧いた。とても感謝している。

今までご飯を食べられなかった理由として考えついたことがある。
私はよく考えると、今まで失恋をしたことがなかった。それはすべての恋が実ったという意味ではない。私は彼氏・彼女いない歴=年齢だ。また、人を好きになったことがないという意味でもない。しかし、私は人に告白しながらもどこか諦めていたり、好きな人のことを好きだと言いながらも「本当に好きなのか?」と思ったり、そもそも男女問わず人に好意を抱かれるのが得意ではなかったり…。モテないうえにかなりの恋愛下手だと思っていたが、私は失恋で苦しんだことがなかったのを思い出した。なぜかと言うと、失恋する前に人に飽きていたから。今まで好きだったはずが、その人にこだわらないという道をすぐに選べるくらいに。

私にとって森田剛の代わりはおらず、恋愛的な意味はなかったが、すっごく好きだった。すごく好きな人が結婚したことの衝撃と喪失感でストレスを感じ、食べものを受け付けなくなったというのは、ひょっとすると、私の人生のなかで最も失恋体験に近いのではないか。飽き性なのに、剛くんにはこの短い間でもずっと飽きることなくいられた。森田剛に失恋したというより、一般的な失恋に近いショックを初めて感じたのだ。そう、自分で理由付けたときにとてもスッキリした。


また、電話をかけてくれた友人が「剛くんが孤独死しなくてよかったよ」と言ったことにもじわじわきてしまった。
しかし、結婚で受けたショックも強いが、愛する人の死は想像もつかないつらさだろう。また、この世が「自担が存在する世界」から「自担が存在しない世界」への変貌を遂げてしまうことの重みを考えると、恐ろしくなった。

私は彼女の発言に影響され、いまでは「剛くんが孤独死しなくてよかった」を脳内に何度も響かせている。


死にたくて、生きることのつらさを前に生きていたくなくて、壮絶だったあのころに好きになったV6と森田剛くん。つらくてつらくて冬の真夜中に裸足で外に出たあの日、ふと「V6…剛くんに会えないまま死ぬわけにはいかないのでは…」と思えて帰ったから、いま生きている。
正直、生きていることから逃げ出したくなるのは今でもあるが、今は大好きな友人のおかげもあり、絶対に自分から死のうとするのはやめようと決めた。
しかし、あのとき浮かんだ「剛くんに会わずして死ねない」を思い出すと少し笑えてくるし、剛くんには感謝してもしきれない。自担でもあり、命の恩人でもあるなんて。私の信者感が強すぎる。


だから私は、剛くんが幸福ならば、また、V6として存在してくれるのならば、嬉しいのだ。人の幸福は人が定めるものではなく、自分自身で感じるものだと思っているので、剛くんが幸せだと思うほうを選択して生活してくれるのなら満足だ。

でも…私からの我儘としてひとつだけ、できるだけ長く、V6の森田剛でいてほしいということ。私が好きになったのは、V6の森田剛だったから。やはり表舞台で仲間と歌う姿を見られることが私の幸せになるから。酷く自分勝手な考えかもしれない。アイドルなのに既婚者だらけなんておかしいだとか、もはやアイドルではないだとか、そのような意見が溢れるのも知っている。
それでも、私は…お茶の間でも楽しめる、歌うとたちまちファンの皆で幸せになれる、そして存在として近すぎることも遠すぎることもない、なんだか輝いている憧れの対象、アイドル…V6を応援したい。



結局、何を書きたかったのか、何を伝えたかったのかがわからなくなってしまった。

私は現時点では一度も彼らに「おめでとう」と発していない。いま発したところで、それは心から出たものではない、表面だけの偽りのことばとなるからだ。しかし、祝福したいという気持ちは持っている。
いつか、素直に言えそうな日が来たら言いたい「おめでとうございます。」をまだ胸に仕舞っておこうと思う。



私は森田剛が大好きだ。

かぞくのはなしから(19)

いつもはV6やSexy Zoneハロープロジェクトの話ばかりのブログですが、今回は私個人の話をしようと思います。
もともと、Twitterで話すには重くて長すぎてしまう、自己満足なお話をブログに書こうということで始めたはてなブログなので、今回アイドル以外の話になってしまうことを許していただきたいです。

私の家族を紹介する、という場面でいつも紹介するのは、
母方の祖母、父、母、姉、兄、(私)、弟の7人であることが多いです。現在は姉以外の6人で同居しています。父方の祖母やいとこ、おばやおじも別居しています。

姉(26歳)は大学院卒業後、公務員となり、実家を離れました。とても真面目で頭が良く努力家です。私がハロプロを好きになったのは姉の影響で、よく一緒にコンサートに行きます。私が高校生だったときに勉強を教えてくれたり、生きる希望をなくしていたときも、サークル活動など、いろいろなことに誘ってくれました。大好きな存在です。

弟(中学三年生)は最近反抗期が終わりましたが、それまでも正義感が強く、理不尽なことを許せない性格なのは変わりません。サッカーをしています。末っ子らしくかわいい一面もありますが、最近は特に頼れる存在です。


そして今日は兄の話をしたくて書き始めましたので、すこし長くなります。

兄(22歳)は自閉症です。‪昔は家族揃って兄に暴力(という言葉は適切ではないと思うが)をふるわれていて、誰も…薬でさえも当時小学生の兄を抑えられませんでした。小6で体重が100kg目前になり、このままでは死ぬと医師に言われ、減量目的、また、生活を見て薬の調整をするための入院をしました。約二年後、家に戻ってきた兄は、入院前と比べ物にならないくらい穏やかになっていました。
現在…なにか意味のあることばを話すことは、ほぼできませんが、大声を出していることが多いです。コミュニケーションをとることが極めて困難ではありますが、頷いたり返事をしたり「ばいばい」のようなことはたまに言えます。じゃがりこ、カルピス、チーズ、靴下、ディズニー映画のアラジンが好きです。飲食や着替えは気分で手伝いなしでできるときとできないときがありますが、基本は誰かが見ている必要があります。平日の日中、母の送迎のもと、ある施設で仕事をしています。

昔の暴力は殴る、蹴る、ひっかく、髪を引っ張る、噛む、踏む…など多岐にわたるもので日常的でした。外出時にも車内で暴力をふるわれるので、よく兄も他のきょうだいも泣いていました。母、祖母、父もよくふるわれていました。父はがっしりとした人ですが、それでも抑えられませんでした。
一度、家にこどもたちだけが残され、お留守番をしていたときに、兄がきょうだいに暴力をふるいだしたことがあります。姉と弟は、なんとか逃げ出したのですが、私だけが逃げられず、やられっぱなしになりました。姉は小さい弟とほかの部屋にある電話で家の大人達に連絡をし、助けを求めていました。私はこの二人を憎んでいませんし、仕方のなかったことだと思います。ただ、たまに思い出しては怖くなるのです。特に目に指を入れられたシーンばかりを思い出します。あれ以降は、家に必ず誰か大人が残るようになり、入院後は何時間も暴力をふるいつづけることはありません。

最近、ここ1年くらいでまた少し兄が攻撃的になったと思います。私も朝起きて、すぐ頭突きをされ、大学を休んだことがありますし、母も顔に頭突きをされ、鼻を骨折しました。先ほども、兄は祖母の指を突然噛み、祖母の二本の指から血が溢れました。母は仕事で家を空けており、父は用を足していました。私と弟でどうにか処置をしましたが、私は血を流す祖母の指を見て、思わず足がすくみました。

父と祖母は、まるでよくドラマで描かれる仲の悪い嫁と姑のような、犬猿の仲です。そのため、この二人の間に母が入らないと家族間の連携がとれない場面が多々あり、このような非常時にも困ってしまいます。二人はお互いに相手が悪いとしかいいません。いい歳した大人が、呆れたものです。



私は19歳、大学一年生にして、将来やりたいことが決まっていません。大学で教わって考えていることは、つまらなくはありませんが、職業選択に直結しないため、選択肢が多すぎてしまいます。大学に通う多くの人が歩むライフコース的には、私はそう遠くない未来に働き始めます。特にやりたいことがなくても、自分にできることをしなければなりません。

祖母は「普通はそういう(兄のように障害者である)家族がいれば介護の仕事も視野に入れるだろう」と、私によく言ってきました。
この発言に対し、私は「果たして、本当にそうなのだろうか」と疑問に思ってきました。
私は、要介護の家族がいると、365日そのつらさや現実と向き合わざるを得ない状況に置かれてしまうから、家の外にいるときくらいは違うことをしたいと思ってしまいます。
そもそも、「普通は〜」という陳腐なフレーズは何をもって「普通」なのでしょう。全国調査や統計的検定でも行ったのでしょうか。私が思うに、その人が見てきた「普通」は、ほかの人の"普通"とは異なるのです。今日生きているすべての人間が、同じ価値観であるはずがありません。しかし、我々はその言葉で普通でない人々を排除していきます。それは時に良い面もあります(例えば、明らかに他人に迷惑をかける行為等を犯罪として取り締まることができるのは人々にその時代に沿った「正常と異常」の概念があるからでしょう)が、時に我々は自らもそうしているのにもかかわらず他人や社会からの排除に悩み苦しんでいくのです。

私は大好きな母、お世話になった姉、弟に、自分の立派な姿をいつか見せたいです。だから…どんなにいまが苦しくて、なにも取り柄のない私を嫌になって、死にたくなっても…生き続けてやろうと思います。本当に死にたくなった時は「生きる」なんて思いませんから、今ここに書いてしまおうと思います。書いておけば、死にたくなってもどこかで思い出すと思うのです。思い出してもしんどくなったら死ぬ時かもしれません。

恨みたいほど嫌な人は私の人生にたくさんいました。その人のために身を投げ出すなんてもったいない。大好きな人がいまはいるから(それがアイドルなんだけどね〜)生きてやる。

人ひとりが発することばや行動は、小さいように見えて意外にも誰かの心や行動に影響していくものです。私がこうして独り言を連ねるブログを読んでいる人は、世界中に公開している以上きっと存在していて、たとえその人が心になにも響かなかったと思っても、そのように思わせた、感想を抱かせたことが影響の一つではないかと考えています。

家族についての悩みや私の問題、大好きなアイドルのことなど話題は尽きないので、これからも自分のために書き続けます。拙い文章を発信するということが私のストレス発散になっています。ここまで読んでくださって有難うございます。

初参戦レポ? V6 LIVE TOUR 2017 The ONES /10月22日(オーラス)静岡・エコパアリーナ

初参戦にしてオーラスを当選させた私の名義。
8月25日Mステ番協以来のV6。そのときは皆さんご存知、「never」と「愛なんだ」のみの披露。それでも信じられないくらい近くでパフォーマンスを見られたし貴重な機会だったけれど、今回は長時間V6と同じ空間に居られるのだとしみじみ。


東京から静岡のエコパアリーナ。Cloudy&Rainy skyでした。風も強かった。なんせ台風21号だったので…。傘が壊れているファンが大勢いらした。私の傘はギリギリ持ちこたえた…。


赤色のブイロクくん

  • 全曲はレポしません
  • レポになってないレポ
  • V6新規ファン、森田剛担当の主観に基づく記事
  • それでもよろしければご覧ください!↓

「Can't Get Enough」から始まった今回のセトリ。
生で見たくて仕方がなかったので夢か現か分からぬままコンサートは進んでいく。三宅健、オールバック!森田剛野口英世!8月に見た髪型と違うよ剛健!

「never」
番協のとき、間奏のダンスと「かすんだ視界に〜」の剛健シンメパートを見られなかったことが少し残念に感じていた(なんていう贅沢・欲張りなんだと重々承知だ)。
それが見られた…。
でも前半の剛くんは意外とダンス緩めに見えた。どちらかといえば後半がキレッキレだった気がする。

「BEAT OF LIFE」
これが披露されるなんてSOUZOできなかっただろうな、参戦前は。
生「ジガジガ」はかなり会場のボルテージが上がる!V6のこういう曲が半端なくかっこよくてジャニーズのなかでもV6らしさが出ると思う。好きだ。。

「Answer」
生歌感強い!岡田くんの「迎えに行こう」のパート大好きなんですよ。
演出の花火と火、WSで見たときよりもやはり生はもっと熱かった(二つの意味で)!

「Beautiful World」
よく考えたら生で見るのは3回目。シブヤノオト、カウコン、ツアー。健くんが「イヤホンを外して」の歌詞で本当にイヤホンを外す。

「刹那的 Night」は途中でセンターステージに来て、指を鳴らすタイミングでちょうど自担の森田剛くんがこちら向きで興奮。指鳴らしたァ〜!みたいな。指鳴らすだけでイケてる、うん。センターステージの囲いもよかったよ。間奏のダンス、かっこかわいくてすき!!!

「DOMINO」
これ、どうやって披露するのかななんて思っていたから意外としっくりきたことに驚き。

「Round&Round」
背景とリンクして2.5次元とか歪みとかそういうものが表現されていたと思う。蜘蛛の巣みたいだった(?)。MV撮影時に急遽決まった振り付けだったはずがコンサートでここまでかっこよく披露している。長野くんの「in the life」の歌声が好きでここが聴けたのが大きい!

「Remember your love」
あっこれダンスあるんだ?!っていうのに驚いた。うっとりとした。イノッチの「水もやらずに枯れた花が 窓辺でうなだれてる」の声が印象的。剛くんの「忘れない キミを」のあとの振り付けがすごく好きだった記憶がある。

「会って話を」20th Century
衣装がとてもかっこいい。あとでカミセンもこの衣装で登場するけれど、この衣装に関してはトニセンのほうが好きだな。ハンガーに女性もののコートがかけられ、ダンス。坂本くんはコートの袖に自分の腕を通してしまっていたのがセクシー!でした。イノッチが最近よくやる斜めに流す前髪が好き。長野くんはリアル王子様だった。TWENTIETH TRIANGLE TOUR(2017)でトニセンのパフォーマンスに惚れ惚れしたあの日が蘇ったようだった。

「Get Naked」Coming Century
ステージに立つ3人の前に降りた薄い幕。3人がリアルタイムでしている自撮りの映像が幕に映され、スクリーンとして利用していた。健くんは途中から寝そべって添い寝風目線。岡田くんは距離に気遣ったりアングルにこだわりがある感じ。剛くんはとにかくカメラとの距離がドキドキするほど近くて完全に会場のお客さん全員を彼女にしていた。ずるい。
腰振りって振付に導入されることがしばしばあるように思えるが、今まで見たなかで最もエロティックだった。こう言っていいのか分からないけれども、若干気だるさも混じったリアリティのある大人の色気。
元は剛くんの声だということが健ラヂで発覚した「〜on my bed」の低いパートも剛くんはマイクを口元にあてるのね。ということは参戦すれば声の正体はわかるものだったのか。
とにかく、Get Nakedはマルチアングル希望!

席がセンターステージ真横くらいだったんだけど、MUSIC FOR THE PEOPLEを真横から見る日が来るなんて。正面でも見たことないのに!(笑)イントロの各メンバーのキレの良さ。息ぴったり。アウトロの脚の振り上げは剛くんのしか見られなかったけれど綺麗すぎ。

「by your side」→「Believe Your Smile」
この繋がりはファンなら誰もが望んだであろう展開で、曲順はてっきりBYS→bysだと思い込んでいたからかなり驚かされた。
bysのオバドラコンビ*1が「今でも覚えてるんだ」と歌うときに肩を組み合っていたのがオバドラ案件。

「レッツゴー6匹」が始まる時、急に静かで真面目な雰囲気になって何事かと思ったけれど「始まるよ〜」でキタコレ〜!ってなった。坂本くんの「始まるよ〜!」が美声だった!その後放たれた銀テープ!ゆっくりと落ちてくるところが美しい。

「ボク・空・キミ」。本編ラストの曲。今回のセトリにこういう系のしっとりした曲があまりない気がするのでこういうラストもいい。シャボン玉が大量に飛び交う光景は幻想的。刹那的。

「WAになっておどろう」は剛くんがソロパート「悲しいことがあればもうすぐ」のあとの「楽しいことがあるから信じてみよう」をマイクをファンのほうに向けて歌わせてた!そのときのV6ファンの皆様の反射神経もすごかったし私もその声の一員になれたことが嬉しかった。剛くんのソロパートの一部を同じ空間で歌えるなんて…という謎の感動(笑)

トリプルアンコールのCHANGE THE WORLDまでやってくれた。まだまだパフォーマンスを見たかったけれど健くんの「さみしいね〜(泣き真似) でも、台風も近づいているしみんなのことが心配」という発言が嬉しかった。素直に帰る準備しますよねそんなの。

最後は健くんのラブメッセージ。また会うための合言葉、バイバイ。愛してる。 ああああ「テレパシー」聞こう()
その後映し出されるメンバーのオフショットphoto by 三宅健

最後に剛くんが何度も「バイバーイ!」「また会おーねー!」と言っていてアイドルだ。。と感動していたよ、私は。

以下わたしのツイート貼り






























V6のコンサートMC、トークだけでもお金とれるよ!って思うほど面白い。笑っていない瞬間がなかった。しかもMC、、かわいいのかたまり。剛くんかわいすぎなんなの…!

結論:

たまらんからまたV6のコンサート行きたい

来年もコンサートやってくれるなら行く!そのためにお金貯める!
ニコン?カミコン?どんとこいだよ!


エコパアリーナって小さいね、花道も短い、どの席でも近い。静岡に住みたい。と帰りの新幹線内で思ったよ。

[



V6大好きだ…!!!!デビュー22周年おめでとうございます!!

2017/8/20 13:00〜 So what?Yolo! Summer Paradise


自名義落選

昨年のSummer Paradiseは立見席1枚当選。
今年こそはMC中座れる席がいい…なんて贅沢言っていたら、そもそも落選してしまうという結果に。
仲がいいセクガルさんとの参戦予定だったのに…。とか、ワクワク学校も落選したのに…、今年の夏は聡マリに会えないのかと思っているときにチケット転売サイトなんて覗いたら腹が立って仕方がなかった*1

そのように荒れていたなかで、5周年イベントで仲良くなった同担様からのお誘いが舞い込んできて奇跡的に行けることに。有難い(;_;)

グッズ

聡マリのミニうちわと聡くんのプロデュースグッズ。かわいいでしょう…。

コンサート


まず最初にMCのことを言わせて。あれはない!!!!!!!!!(黙)
前回は佐藤勝利くんが見学に来てMCも少しの間参加していた。とてもかわいいちびーずMCはお得感があった。
しかし今回、、、ん〜。聡くんと仲の良い先輩だし強くは言えないけれども。本人達は3:2に分かれた時代を「格差」というネガティヴな表現をしたことがないはずだし、本人もその場で言っていた通り、格差だと思っていないらしいし。聡マリが頼もしいことだけがわかった。私はもっとふたりの楽しいMCを見たかったな。



仕切り直して

今回と前回、どちらがよかったかと聞かれても決められないような素敵な内容だった。

聡くんの新曲「Mermaid」は夏らしく爽やかな曲。マリンっぽい衣装もかわいいし、Mポーズ(Mermaidと松島のMらしい)もかわいいし、、歌詞もかわいいし、、、。「Break out my shell」がカッコいい感じのダンスナンバーだったので、次のソロ曲はガラッと変わった雰囲気でかわいいアイドル松島を出してくるんだろうなっていう予想はしていたのよ。
あと最近本人は「So」っていうのを推しているね。今までも「Hey you!」や「トラフィック・ジャム」、「勝利の日まで」の歌詞に登場していたけれど、このごろ本人が意識してる。「So happy!」とかやけに言ってません?
中島健人の「けんけんとっと?」☞\けんとっとー!/、マリウス葉の「みんなボクに?」☞\ハマリウス〜!/、「〜マリウス」のように自分の名前をコールアンドレスポンスや決めゼリフに使うことは、女性アイドルらしさのあるスタイルのように感じる。私の主観なのだけれど。しかし、それがかわいい。Sexy Zoneがキラキラアイドルだからこそできるアピール方法は生かすべき。
「So 絶対君を幸せにするから 僕の手をとって」…君に砂浜に描いた二文字を伝えたいよ。

マリウスの新曲「Deja-vu」、これがとんでもなく良い!!!!!!マリウスのダークな格好良さがみえるのがいい。マリウスは曲の世界観をガンガン伝えてくれる。

架空の村を舞台にした絵本の世界で描かれる葛藤。そこから導き出されたメッセージ、「So what?Yolo!」
「You only live once」だから「So what?」で乗り越えるのもアリなのかもしれない。

突然だが、私は二年前からずっと死にたくて仕方がなくて何故生まれてきたのか、死ねないのかと悩み苦しんでいた。何もかもが暗黒に見えた過去の自分にこのコンサートを見せてあげたかった。自分の人生を大切にしようと少しでも早い段階で思えたはずだから。

今回、風 is I?も人生について考えさせられるような世界だったそうだ。

Sexy Zoneはアイドルという立場で、私達にアイドルの姿をみせてくれるだけでなく、人生におけるもっと大きなメッセージを伝えてくる。現実から逃げて夢の世界(コンサート)に来るというよりも、現実に帰っても頑張って生活できるように応援してくれるという存在である。




とにかく!

楽しすぎた!!!誘ってくれたお友達もありがとうございます!
また聡マリコンサートか初のソロコンか…あるといいな。

*1:ので、チケキャンEXですべて通報した

生きていてよかった。

生きていてよかった…

これは2017年8月25日、V6出演ミュージックステーションの番組協力に参加した夜、お風呂に入りながらふと思ったこと。
青春時代といわれる高校時代の半分、約一年半が私にとっての暗黒期だった。
偏差値60台、家から約20分の私立高校に週6日通う日々。なかには自称進学校だと嘆く生徒も、気の合わない生徒や先生もいたが、私はそれなりに楽しい日々を送っていた。ジャニーズやハロプロも好きだったが、それを必死に追わなくても毎日が充実していたので*1ゆるヲタだったかもしれない。
高校二年生だった2015年10月。17歳の誕生日の翌日に起こった出来事は今でもすぐに思い出せるトラウマ。11月に通信制高校に転校したが、それもうまく続かず、結局留年してしまった。
高校二年生のまま2016年を迎えた私が書いた、約9か月前の自分の下書きが残っていた。このときは「私の悩みなんて小さいし本当に悩んでいる人に失礼だ」とか「甘えているだけだ」と思うばかりだった。


最初に言っておこう。今回のブログはジャニーズはあまり出てこない激重記事だ。
Twitterの知り合いにはもちろん、リア友にもあまり明かしていないことだがあまりにもつらいので書いてしまおう
・「死にたい」
わたしはこれを毎日考えている。できたら一切考えずに楽に人生を過ごしたい。ただ、わたしの場合、毎日といっても起きてから寝るまでずっとではなく、その日によっても差がある。一応、1日のうちに笑っている時間や真剣に他のことを考えている時間もある。
ここ1年以上は「死にたい」と思わなかった日がなかったのかもしれない…振り返るとそう思う。もちろん、無理に毎日「死」について考えようとして考えているのではない。ふとしたときに自然と頭に浮かぶのだ。
嫌なことを思い出したとき(過去)
嫌なことが起こったとき(現在)
これから嫌なことが起きると分かったとき(未来)
過去・現在・未来、すべてで絡ませてしまう脳で問題が発生したら「どのように解決するか」より先に「死にたい」が出てきて絶望感に溢れたまま時間だけが経過するのだ。
・きっかけ?
中学生の頃はどんなにつらいことや苦しいことがあっても「死にたい」には繋がらず、なんとか学校に通い外出もよくしていた。
高校入学してからは落ち込んでいる期間がやけに長い気がするのだが、はっきりとしたきっかけは覚えていないというか。
何がムカついてるから自分が怒っているとか何が悲しいから自分が泣いているとか。分からなくて。気が付いたら感情がほぼなかったり、反対に抑えきれなかったりする。
外では抑えようとしても最近はそうはいかない。
・2月
大荒れだった月(笑)
毎日のように大泣きして家族を困らせていた。17歳になった娘が赤子以上に泣くのだから手に負えなかっただろう。ついには母まで軽度のうつ病に。わたし自身は病院でも特に診断結果が出ず。通院することの意味を感じなくなってきてしまい、気持ち的に1人で病院にも行けないほどになり、通うのをやめてしまった。*2
2月に本当に死のうと思ったことがあり、真夜中にパジャマに裸足で川まで歩いたことが2回ある。そこまで簡単に人は死ねないが気持ち的に死にたすぎた。凍りかけた道の上。真冬の冷たさもよく分からなくなったほど泣きながら倒れそうに歩いたが結局探しに来た母に見つかってしまった。それと同時に「まだV6に会ってないのに死ねない…Sexy Zoneのコンサートがあるのに死ぬの…?」と急に思ったことで、家に凍えながら帰った覚えがある。もしもジャニーズがなかったら、母が迎えにこなかったら自分が今頃この世にいたのか分からない。
2〜3月には食生活が荒れてその短期間で体重が12kgも増えた。
食生活は一例としてあげると、深夜の2時に一気にバナナ5本、こんに〇く畑5個、じゃが〇こ2箱、カントリー〇アム24個入り1袋、板チョコ1枚…。普段のわたしにとって有り得ないものだった。食べ過ぎたと後悔するのにまたやってしまう…それを繰り返したらあっという間に肉がついていた。
今まで着られていた服がきつくなり、自撮りもプリクラもまったく盛れず(笑)。4月下旬でのSexy Zoneのコンサート後に体重計に久しぶりに乗った瞬間は時間が止まったよ。2016年で最も衝撃が大きかった。
・「死にたい」荒波の再登場
とにかく4〜9月までの半年間、何も気にせずに過ごした。心がそこそこ安定したが、次は何もしていないからこそ辛くなってきた。
10月になると両親から高卒認定試験を受けるよう勧められ、塾にも(無料体験で)通うことになった。
しかし、それからまた心が荒れ始めた。
夢も目標も無いなかどう頑張れと。半年間何も考えずにいたダメ人間が急にやる気になることはなかった。心が安定したと書いたがあくまで当社比だから、自分自身の死にたさのピークと比べてましというだけで、毎日死にたいとは思っていた。
わたしと同い年の人は試験勉強か進路が決まっているかの時期であった10月。高校二年生のまま何も無いまま休学し続ける自分。社会はどちらに優しいだろうか。
やりたいこと、得意なこと、趣味…もうすべてがないわたし。勉強も忘れてしまった。友達との距離も遠くなった。
・いつの間に過ぎ去る時間
ベランダで「早く死なないかな」と考えていたら半日が経っていた。そのような日々だ。
時間の無駄だと思うのに勝手にやってしまうからやめられない気がする。勉強や遊び、携帯電話での連絡…すべてができなくなる。考えることを具体的に言うと、洋服を見て「これを首に巻いたら死ねるのか」、建物内にいて「ここから飛び降りても高さが足りないから死ねないな」など。ただ家にいるだけで自殺ネタの宝庫。
この繰り返しの日々のなかでもたまに友人からの誘いがあり、遊びに出かけることもある。そのときはなるべく「死にたい」オーラを封印して楽しむようにしている。つまり、遊びに出かけるような仲の友達ですらわたしの今の状態を知らないということだ。
だってそれを口に出したりSNSで投稿した瞬間から、ただでさえ少ない友達が0になり皆に嫌われる気がするから。口が裂けても言えない。
・言われて嬉しくない言葉
わたしも以前はこうだったのかもしれない。
「ネガティブなことを考えている時間が無駄だよ!」
「楽しいことを想像してみて!」
「気分転換に散歩でもしてみたら?」
「そんなに時間がたくさんあるのなら海外とか行ってみたら?」
「死にたいだなんて、生きたいのに死んでしまう人のことを考えたら言えないでしょ?!」
などなど。
その場では話を合わせるけれども。
わたしの場合、楽しいことを想像するだとか散歩をするだとかは過度に「死にたい」と思っているときは少しも頭に浮かばない。本当に調子の良いときだけでは。
だから楽しいことをしなよ!とか、生きたい人の気持ちを考えて!とかは通用しないんだよ。
かといって
「死ね」
「殺されに行けば?」
「死ねば?」
という言葉たちも求めていない。わたしって面倒かな。
きっと「死ね」って言ってほしくて「死にたい」と言っているわけがないんだよね。でも、死にたいと悩んでいる人に向かって死ねって言うと本当に死ぬかもしれない。

2017年1月、私はある塾に通い始めた。そこには私のように高校に通っていない人ばかりだった。そこにいたら気持ちが楽になるような気がして、次の年度も通うつもりだったが、突然父に大学受験をするように言われ、ほとんど勉強しないまま大学を受験し、望まない大学へ進学することになった。
私はこの大学に行きたくないとばかり思っていたので、前期の私の心はまた荒れていた。
家にある精神科の薬すべてを飲んで気持ち悪くなっていたら救急搬送されたこともあった。(薬のゴミを見た父が致死量を調べ、救急搬送すべきか判断してくれるところへ連絡した結果)

大学の先生、両親など、身近な大人達から言われる言葉は「とにかく楽しんで生きたほうがいいよ」。私の周りの人はとても優しいと思う。今まで書いたように、私はすごく甘えて生きていたのに。高校や大学に行きたくても行けない人はたくさんいると知りながら甘えてきたのに。そのように、他人の優しさに触れるたび、自分を責めるときもあった。

でも、今は…甘えたことが自立への一歩になるのならば、甘えても許してほしいと思えるようになった。

私が楽しいと思う時間は、好きなアイドルを見ている時。アイドルの素敵な姿を見ることが、辛いときも私が生きていく上で唯一の…一縷の希望で。現実逃避のために現場を毎月入れた時もあった。

ミュージックステーションはあまり現実逃避という考えをしないで挑んだ気がする。
あぁ…森田剛くんって本当にかっこよくてかわいいんだ…V6って素晴らしいな…。そこまで近くで見たことなかったので、まずV6が存在していることに感動してしまった。V6がいる世界も捨てたものじゃない。V6の同年代ファンの子も、みんなわたしに優しくしてくれた。こんなに心から楽しめた日は高校を辞めて以来初めてだったのかもしれない。

塾に通っていた時期に出会った子は「私は〇〇を好きでいなかったら、今頃生きていなかった」と話してくれた。私は同様に、好きなアイドルがいなかったら…とそのときは語り合ったな。何かのヲタクであることが、生きるための希望になる。

こんなに調子のいい日は今のうちかもしれなくて、また毎日死にたくなってしまう可能性もなくはない。
でも、今の私は「生きていてよかった」って言える。‪「もう、いつ死んでもいい」ってずっと思っていたけれど、今はまだ生きていたい。‬それでいい。

これから、大学生活もヲタ活も、できるだけ楽しもう。

まとまりが無くて読みにくいだろうけれど、ブログは自己満足で書けたら一番面白いね。

*1:Sexy Zoneは3人体制だったから辛かったけれど

*2:病名がつくと安心するという説は本当かも

Sexy Tour STAGE 2017/5/4 ,2017/5/6

2017/5/4 17:30〜 2017/5/6 17:30〜


Sexy Zone presents Sexy Tour 2017〜STAGE(以下:STAGEコン)へ。
3月から始まった5都市を廻るツアーも横浜アリーナで最後。

双子コーデでセクゾ現場に行くのは初めてで、はじめは「こんなに若い恰好私にはもう似合わないよ…」「大丈夫かな…」とネガティヴな考えが頭をグルグルとまわっていたけれど、いざ当日双子コーデのお友達と会うとテンションが上がって、服ってここまで人の気分を左右させるのかと。

今回は意識的にセットリストを確認しないようにした。MCレポ以外は見ないように。不可能だと思っていたけれど、私のオキテの闇写がまさかのリア垢で流れてきてしまった時以外は何も見ずに5月まで過ごせた。*1やればできんじゃん(byふまりん)が脳内再生。

ほぼデビュー時から見てきた彼らの5周年ライブは、予習なしでも、いやむしろ予習なしだからこそ爆発的感動を味わうことができたのかもしれない。
偶然、参戦直前に「Teleportation」にハマって毎晩聴いていたので、5人で歌いだした時は涙が洪水のように溢れた。聡くんの声がぴったり。今の5人が表現できる切なさが痛いほど伝わってくる。
Sexy Zooからの「Sweety Girl」は聡マリのサマパラに迷い込んできたかのようなメルヘンチックな世界。かわいすぎるし、しょりふまけんの登場には驚いた。
「私のオキテ」はお着替えシーンがセクシー。女装したSexy Zoneは全員美脚で全員かわいくて。本編で最も歓声が大きかった曲かも。聡くんのオチ担当っぷりも最高。
「It's Going Down!」もマリウスの伸びのある声がきれいだったのが印象的。こんなに大人になって〜😢と一歳差の私もすっかり数年に一度会う親戚のおばちゃんの気分(?)。
聡くんのソロ曲、「Break out my shell」では横浜アリーナが緑色の景色に染まっていて、その美しさに涙がでた。今回泣きすぎなんだよ!って自分にツッコミを入れながら聡くんのパフォーマンスを見つめる。聡くんはブレマイからそのあとの「Slow Jam」でも色気のある表情や仕草をし続けていて、うっとり。
風磨くんの日替わりは「...more」。
「勝利の日まで」間奏でセクベアくんが登場し、「Sexy Summerに雪が降る」の最初のソロパートを賭けたジャンケン対決に。聡くんが勝って、同担のお友達と「やったーー!!」と嬉し泣き(笑)。
「With you」「STAGE」「Sexy Zone」はとにかく涙腺崩壊して人目を気にせず号泣。Sexy Zoneの原点である「With you」、聡マリの美しいハーモニー。「STAGE」を聴いて蘇るSexy Zoneの思い出。デビュー当時衣装で披露した「Sexy Zone」は成長を感じてこんなに感動させてくるセクゾたちずるいって。

4日夜と6日夜の比較
  • 6日はDVD収録のためカメラが多かった
  • 6日 ファンと記念撮影(センター席の人くらいしか映らないような)
  • 「Miss Mysterious」で聡くんの棒の光が消える、サビ後に復活
  • どちらもセクサマは聡くんが勝つ
  • 6日夜風磨くん日替わりソロ「rouge」
  • Sexy Zone」4日聡くん編み込み
  • 「STAGE」4日→(o´ω`o)叩きつけた(o'ω'o)マイク握るよ がふまけん2人とも歌い方、手の叩きつけ方や握り方強め。6日→(o´ω`o)叩きつけた(o'ω'o)マイク握るよが2人とも比較的やさしい手つき。
  • 4日夜 エンディング 健人くんが聡くんをおんぶ。6日夜 エンディング 聡くんが健人くんをおんぶ。

一度のツアーで二回参戦も初めて。普段、ツアーは一度入れば充分なわたし。でも、今回このような機会をいただけたからにはこの二つでの相違点をきちんと見ておこうと思っていた。やはり二回目のほうが落ち着いて集中することができたし、二回見ることで記憶にも残りやすかった。とくに今回のツアーは日替わり要素もあったので、新鮮味がある部分をつくっていて面白かった。
でも今後は、やはり一度のツアーに一回参戦でかなり満足できるからそれでいいかな。

Sexy Zoneは私の青春。

12歳から18歳、人よりも自分は苦労したとか思いたいわけでなくても辛いことはたくさんあったので、正直消し去っている記憶もある。でもSexy Zoneのことに関してはよく覚えていて、思い出すことを苦しいと思わない。Sexy Zoneが3人で活動していた期間、「Sexy Zone出演」でも聡マリがいないことや、年上の3人もどこか無理をしていないかが心配だった。Sexy 松の聡くんが頑張っていることを知っていても観に行く勇気がなかった。でもそれは聡くんが、松倉海斗くんと松田元太くんに刺激を受け、感謝していることを私達に伝えてくれるのを見聞きする度に、Sexy 松を観に行かなかったことへの少しの後悔とともに松倉海斗くんと松田元太くんに感謝の気持ちが芽生える。

これからもSexy Zoneの5人が大好きだ。
(。^∪^)これからもSexy Zone、上を目指すよ!
…その言葉を100%信じてついていくよ。

*1:リツイートしてきたあの子はこの件に関しては許せない