過去も今も未来も…

守備範囲が浅く狭い、語彙力のない長文を書くただのファン。

V6の自担が結婚しました(3/16)

2016年1月頃から応援してきた森田剛くんが今日(3月16日)、自身の結婚を公式発表した。
私はV6の20周年(2015年)もまともに祝えなかったほどの新規ファンでSexy Zoneとも掛け持っているが、いちファンとして今回の発表になにも思わないはずがない。
書いているうちに自分のなかの結論を出せるのか定かでなくとも、記憶力の良くない私が忘れないうちに、16日の出来事や私の想いを書き連ねようと思う。


私はその日の朝から、三宅担の友人とカラオケのデュアルモニタールームで、「V6 LIVE TOUR 2017 The ONES」鑑賞会を開いていた。
これはもともと、「森田剛のお誕生日会をやろう!(本人不在)」という提案から始まり、2月20日の彼の誕生日が過ぎ、ライブDVD/Blu-ray発売の3月14日も過ぎたタイミングでようやく実現した。私は今日のこの日を楽しみにしていたわけである。
16日に観ることになったのは偶然二人の都合が良かったからで、このことを予知していたのではないが、今は「運命?」と思ってしまうほど。まあ、3月16日の意味は二人の誕生日の間(2/20と4/6)で真ん中の日だったわけだが。


正直に言ってしまうと、私は最近V6に対する熱が冷めかけていた。
2017年12月24日、岡田准一くんが紅い封筒をファンへ送った日。私は、

  1. よりによってクリスマスイブに報告はないだろう、自分達のことを考えすぎていないか。
  2. これでは結婚を祝福しようという気持ちが薄まってしまう。
  3. 剛くんよりも年下の、V6の最年少が結婚か…。

と、さまざまな想いを複雑に絡ませて、素直に祝うことなどできなかった。しかし、私も岡田くんの幸せを願う他ないので、「おめでとうという気持ち」をなんとか想うことができたはず。

そこから年が明け暫くして、週刊誌に載った剛くんと宮沢りえさんに大きなショックを受けた。今までのどのスキャンダルもなんとか耐えられていたにも関わらず、その日は抜け殻のようになってしまったほど。
私は載った写真にだけでなく、ほかのファンや一般人の意見が溢れるTwitterを覗いたことでのショックもあり。誰にも代えられない、大好きな剛くんが好き勝手言われているという状況。私自身が責められているのではない。私が見なければよい話なのは百も承知。それでも、大変傷付けられた。

その2つ(岡田くんの結婚と剛くんの週刊誌)があってからはV6の曲を積極的に聴くことも以前より減った。剛くんの出演ドラマや主演舞台のDVDも買ったまま見る時間をとれず、それが2ヶ月以上続いた。
ここまでV6に触れない日々がファンになってからはなかったため、もしかしたら私はV6のファンとはいえない日が来るのではないかと、さみしさを通り越して恐れに近いものを感じた。

そのような心境でライブ鑑賞会を行うなんて、と不思議に思われる方もいるとは思うが、もしも鑑賞会をしなければ、私はこのDVDを自宅で再生しなかったかもしれない。

当日、Blu-rayでコンサート本編、シンクロするまでリハに戻れま6、、、散々楽しんだ。

動く6人を久方ぶりに見ると、歌もダンスもMCも何もかもが最高だった。やはり剛くんのことが好きなんだ…という気持ちを再確認できた。
「剛くんのすべてがかわいい」「こういう風にメンバーのことを、人のことをよく見ているのが素敵」「ダンスアホかってくらいかっこいい」…たくさんの『好き』がつまった時間を友達と過ごして、「家に帰ったらカミセンMCも見て、全国MC集も見て…」と別れ際に予定を立てまくっていた。


ところが、友達と別れてからの電車内でメッセージが届いた。
「いま、愛なんだのツイッターを見るでない」と。その友達から。
私は何を思ったか、「今のタイミングで送ってくるのは、V6がロケで私たちのいた場所の近くにでも来たのかな?」と軽く捉えて、「見るな」と言われると余計に見たくなってしまうではないかと返信すると、
「絶対ダメ!公式の発表待って!」
えっ公式?V6……の……解散とか?!えっ絶対ヤダ!!!!………あ。Twitterのトレンド、宮沢りえって………。


私は、せっかくの友達の忠告も聞かずに、間違えた予想と自己判断でツイッターを開いた。「見るな」と言われたタイミングで「宮沢りえ」がトレンド入りするなんて、アレしかない。

家の最寄り駅に着くと、やけに自分が軽いことに気づく。傘を出かけた先のトイレに置き忘れた。電車内で顔に出ないように必死で我慢していたのが、ため息とともに漏れた気がした。
傘を取りに戻ることもせず、家にいつの間にか着いており、白い封筒がポストに届いていた。よく帰れたと思う。3月16日16:00。

絶対に"こんなもの"、あけられるはずがない。傘どうしよう。泣きたい。でも不思議なことに顔に伝うものは何も無かった。

いつか来るであろうと思っていても自担が結婚する日は案外すぐだったなと。
交際していたことはもちろん知っていて、もっと言えばふたりが共演した舞台『ビニールの城』も立ち見券で観に行っていた。
公の場に二人が並んで立つことはもうないだろうが、公演のパンフレットや当時のビニールの城関連が掲載された雑誌を開けば、いつでも二人は載っている。二人が出逢った証が刻まれている舞台、私が一度しか会えなかった朝顔とモモ(役名)。読んでいるうちに複雑な気持ちになった。

私は、とにかく病みツイートをした。












散々呟いたあと、「このようなときこそ、数か月更新をサボっているブログを書くべきだ」と突然思い当たり、今に至る。
ブログを書くのに、V6のFC会員に届く本人からの通知を読まないなんて、(自称)ブロガー失格だ。またもおかしく激しい思い込みのおかげで私は白い封筒を開いた。
長野博岡田准一に続いて、私が会員になってから家に通知がくるのは3度目。しかし、このようなものって内面が出るなあと思った。


デザインも文面も何もかも、彼はやはり私が好きになった森田剛だった。それが余計に私を苦しませたが、見たことへの後悔はなかった。むしろ、見て良かった。

ツイッターのタイムラインは傷付く意見が多かった。反応の模範解答などないが、間違いは存在すると思う。言い方次第で、ものの印象は良くも悪くもなる。ネットに溢れるまとめやモーメントも、肯定的意見か否定的意見か、何を多く取り上げるかで閲覧者のものごとへの考えを左右させるだろう。


このようなことを考えているうちに、ご飯をあまり食べられなくなり、バイトの2連勤を終えた頃にはフラフラしていた。バイト先の人に「何か落ち込むことありますか?」と聞かれ、散々恥ずかしがって焦らした挙句、「好きな芸能人が結婚したんです…。」と、それが森田剛だとカミングアウトしたときは「あー!宮沢りえでしょ」と、芸能人に疎い人でも知っていた。バイト先で販売しているスポーツ新聞に載っていたからだったが。

バイト先の人だけでなく、友人にも心配をかけた。ショックを理由にご飯を食べられなくなったことが今までに無かったため、自分もどうしたらいいのかわからず、電話をかけてくれた友人につい不安を漏らしてしまった。それを友人は「絶対食べられるようになるよ!」と暗示のように言ってくれて、やけに心にすっと入り込んできて「たべる」ことに対する自信が湧いた。とても感謝している。

今までご飯を食べられなかった理由として考えついたことがある。
私はよく考えると、今まで失恋をしたことがなかった。それはすべての恋が実ったという意味ではない。私は彼氏・彼女いない歴=年齢だ。また、人を好きになったことがないという意味でもない。しかし、私は人に告白しながらもどこか諦めていたり、好きな人のことを好きだと言いながらも「本当に好きなのか?」と思ったり、そもそも男女問わず人に好意を抱かれるのが得意ではなかったり…。モテないうえにかなりの恋愛下手だと思っていたが、私は失恋で苦しんだことがなかったのを思い出した。なぜかと言うと、失恋する前に人に飽きていたから。今まで好きだったはずが、その人にこだわらないという道をすぐに選べるくらいに。

私にとって森田剛の代わりはおらず、恋愛的な意味はなかったが、すっごく好きだった。すごく好きな人が結婚したことの衝撃と喪失感でストレスを感じ、食べものを受け付けなくなったというのは、ひょっとすると、私の人生のなかで最も失恋体験に近いのではないか。飽き性なのに、剛くんにはこの短い間でもずっと飽きることなくいられた。森田剛に失恋したというより、一般的な失恋に近いショックを初めて感じたのだ。そう、自分で理由付けたときにとてもスッキリした。


また、電話をかけてくれた友人が「剛くんが孤独死しなくてよかったよ」と言ったことにもじわじわきてしまった。
しかし、結婚で受けたショックも強いが、愛する人の死は想像もつかないつらさだろう。また、この世が「自担が存在する世界」から「自担が存在しない世界」への変貌を遂げてしまうことの重みを考えると、恐ろしくなった。

私は彼女の発言に影響され、いまでは「剛くんが孤独死しなくてよかった」を脳内に何度も響かせている。


死にたくて、生きることのつらさを前に生きていたくなくて、壮絶だったあのころに好きになったV6と森田剛くん。つらくてつらくて冬の真夜中に裸足で外に出たあの日、ふと「V6…剛くんに会えないまま死ぬわけにはいかないのでは…」と思えて帰ったから、いま生きている。
正直、生きていることから逃げ出したくなるのは今でもあるが、今は大好きな友人のおかげもあり、絶対に自分から死のうとするのはやめようと決めた。
しかし、あのとき浮かんだ「剛くんに会わずして死ねない」を思い出すと少し笑えてくるし、剛くんには感謝してもしきれない。自担でもあり、命の恩人でもあるなんて。私の信者感が強すぎる。


だから私は、剛くんが幸福ならば、また、V6として存在してくれるのならば、嬉しいのだ。人の幸福は人が定めるものではなく、自分自身で感じるものだと思っているので、剛くんが幸せだと思うほうを選択して生活してくれるのなら満足だ。

でも…私からの我儘としてひとつだけ、できるだけ長く、V6の森田剛でいてほしいということ。私が好きになったのは、V6の森田剛だったから。やはり表舞台で仲間と歌う姿を見られることが私の幸せになるから。酷く自分勝手な考えかもしれない。アイドルなのに既婚者だらけなんておかしいだとか、もはやアイドルではないだとか、そのような意見が溢れるのも知っている。
それでも、私は…お茶の間でも楽しめる、歌うとたちまちファンの皆で幸せになれる、そして存在として近すぎることも遠すぎることもない、なんだか輝いている憧れの対象、アイドル…V6を応援したい。



結局、何を書きたかったのか、何を伝えたかったのかがわからなくなってしまった。

私は現時点では一度も彼らに「おめでとう」と発していない。いま発したところで、それは心から出たものではない、表面だけの偽りのことばとなるからだ。しかし、祝福したいという気持ちは持っている。
いつか、素直に言えそうな日が来たら言いたい「おめでとうございます。」をまだ胸に仕舞っておこうと思う。



私は森田剛が大好きだ。